sasanuko's guchiring room (ΦωΦ)ノ

グチリストです。日常の愚痴を毒多めに書きます。旅行記も書いちゃう。

劇場版チェリまほ🍒の感想

 まずは、色んな制約がある中でも、こうして作ってくれてありがとうございます、と手を合わせたい気持ちでいっぱいなことは先に書いておきます。

 あのキャストで色々な萌え場面を見れて、それはそれは幸せでした。とにかく安達が可愛くて死にました。黒沢が美しいのは勿論として。

 

 …という書き方なので、この後不満とか批判的なことを書いてしまうワケですが。最終的に、「そうは言ってもプラマイプラスです!!」とは先に言っておきたい。

 

 盛大にネタバレ有りです。

 

 宣伝で「魔法使いのまま」って聞いて、嫌な予感はしてたんですけど、自分達で作って発表したものを、一旦「無かったこと」にされたのが、もう本当に許せなくて。製作者としての矜持はないのか?!と言いたくなるほどに。だったら「ドラマの続編」と言わないで欲しかったって位。

 分かるよ? ドラマ製作当初はこんなブームになると思ってなくて、どんどん話が大きくなっちゃって、想定してなかったのに映画化の話になっちゃって。そしたら、原作がその後続きとして描いてる長崎転勤の話は入れた方が良いよねってなって。その過程で、魔法がまだ残ってる設定の方が良いっていう案が出てしまったのも(後から、それが原作者からの提案だったと知って、さらに愕然)。

 でも、でもでもでも、製作者というのは、一度発表したものは取り消せないんですよ。ドラマの時系列のあやふやさ(2/12のブログ参照)についても、そこの厳しさを知ってる人達が作ってる故に、甘んじて批判も受け入れてるんだろうと思ってたから、それも込みで私はこのドラマを受け入れたんだし。

 ドラマを繰り返し見たファンとしては、クリスマスイブにファーストキスから一気に脱魔法使いまで行くの、なかなか大変だけど、でも一度別れた2人だからこそ、覚悟して臨んだハズで、お互いすっごく頑張ったんだよね、と沢山沢山脳内補完して、既にそういうストーリーとして受け入れ切ってたから、それを否定されたのがもう、何て言うか、気持ちを踏み躙られた位の衝撃で。百歩譲って、エレキスは実は転勤終了後のエピソードなんだと受け止めるとして。

 しかも。じゃぁ、魔法使いのままであることが、どこまで映画のストーリーに生かされてたんですか、と言いたい。別に、既に魔法使いじゃなくなってる設定でも、付き合い立て初期の浮かれた感じから、転勤話が出て、擦れ違って行く過程は描けたハズ。俺達にはもう魔法は無いんだよ!! だから、ちゃんと言葉で気持ちを伝え合わなきゃいけないんだ、っていう話にできたハズ。しかも、ですよ? 安達が黒沢に背後から触ろうとして、黒沢が「俺のこと、信じられない?」って言う所。だって実際にはやっぱり「哀しかった、寂しかった」なんだよ? 信じる信じないじゃなくて、ちゃんと本音を聞きたかったっていうストーリーに後々持って行くの、幾らでもできたじゃない?

 それに、ドラマですら、コンペ云々があったとはいえ、付き合い出して1ヵ月以上もキス無しかい?と思ってたのに、映画見たら、長崎での事故騒ぎのあれがファーストキス風な演出で、そこまでキスおあづけ?! さすがにファンタジー過ぎでしょ、と。

 一応ね、絵本を開いて、これは絵本の中の出来事です風に作ってくれてるから、クリスマスイブに脱魔法使いした方が現実っていう見方もできるので、それは監督とかが精一杯に配慮した演出なんだろうなとは思うんだけど、それでも。

 だって正直なところ、映画にあった、クリスマスイブの夜は緊張しまくってモダモダして結局未遂、という方が有り得るの、そんなの皆分かってるって!!(そして、そのモダモダ映像見せてくれたのも、それはそれで美味しかったんだけど) でも敢えてあの晩に最後までした、というのが2人の覚悟が伺われて尊かったのに!!

 私は、恋愛ってやっぱり性愛とは切り離せないと思ってるけど、もちろんそこまで映像で見せてくれなくても構わないとも思ってる。ここまでやるならちゃんとキスしろ変に隠すな、という意見ももっともだと思うけど、表現方法(とか事務所の制約とか)の問題であって、ストーリー自体が変わらないなら別に良いと思ってる。でもストーリー自体を変えられたのがもう、何とも…。

 

 初っ端がその衝撃だったので、1回目はなんか素直に見れなかったんですよ、正直。その問題は脇に置いといて、と思いながら見てたから、ストーリー展開が早過ぎて付いて行けなかったし。そりゃ原作読んでるから、大体のことは脳内補完できるんだけど、映画としてのストーリーにいまひとつ埋没できないというか。

 もう一つ。これは原作でも思っていたことだけど、黒沢母の受け入れが良過ぎる。後から書くけど、私は映画版で原作から変えた部分が結構気に入っていて、なので余計にここ、どうしてこの日1回で受け入れちゃった設定のままにしたかな、とそこはとてつもなく残念に思った。104分に入り切らないから?にしても、ちょっとここは雑過ぎ。だって!! ドラマ版の黒沢は7年間も安達に片想いするようなヤツなんですよ。そんな頑固な男の母が、1回で受け入れられるとでも?

 多くの人が、何食べのシロさん母と比較したと思うんです。どう考えても、ストーリーとして雑過ぎる。後からきっと書いてしまうけど、製作陣は、社会に与える影響を、ドラマの初期から考えて作っていて、そこは私は尊敬というか信頼してたので、余計に残念だなぁ、と。

 104分に入り切らない、で言えば、長崎の8ヵ月もあまりに雑過ぎて、びっくりした。多くの人が言ってる通り、ドラマが心情を丁寧に描いてただけに、ここの雑さが残念過ぎる。

 

 では良かった点。

 まず何よりも!! 同居するなら安達の家、というの、やっぱそうだよね!!と思って。黒沢ならきっとそうすると思ってた。8ヵ月限定で新規店舗の開店スタッフなら、ウィークリーマンション与えられるのも納得だったし。だから、安達の家に黒沢のベッドが入ってたり、机が2人分並んでいる映像はもう、ありがとうございますって感じだった。

 あと、事故騒ぎの話。原作では、黒沢が風邪引いて会えなくて、という話から、いざという時に連絡貰えない立場だって認識する流れになってて、ちょっと弱いなって思ってたから、安達が事故かもってなった時に、一番大事な人には連絡行かないっていうのも、携帯がないと関係自体が切れそうになってしまうのも、両方とも描かれてて、このエピソードは最高だな、と思った。しかも、この経験を元に、両親に挨拶しに行こうって安達から言う流れも最高。ついでに、会社から必要とされる人間になりたいんだ、と言うのとほぼ同時なのも良い。こういう形で、安達が安達のやり方で黒沢をちゃんと守って行こうと考えられる、大きな人間に成長したのが、もう本当に尊い。ここは大真面目に、黒沢の方がお姫様で安達が王子になってるんですよ。多分、今回の映画のストーリーの肝はここなので、やっぱり魔法云々にどうしてこだわっちゃったんだろう?って本当に残念。

 事故騒ぎで、やっと黒沢が本音を曝け出して、この愛しさをどう伝えようっていう流れも、別に良いじゃん。脱魔法使いしてて、既に肉体関係あるんだけど、基本いつも黒沢から求めてたのが、ここで初めて安達から求めます、でいいじゃんって思うんだけど。直接的な表現なくても、十分間接的に表現できたと思うんだけど。例えば、いつもは黒沢からハグしてたのが、安達からのハグってだけでも、うまく演出つければめっちゃ印象的なシーンになったと思うんだけど。

 そして、黒沢家に行った時の、黒沢の言葉。安達の「愛してます」の後。小さい時から外見のことばかり言われてって話。原作読んだ時に、どうしてここで黒沢そういうこと言わないんだろう?って思ってた位なので、やっぱりそうだよね、と納得。息子のこの言葉で母考える、の流れは必要だと思ってました。ちなみに、黒沢家での安達というか、赤楚君の演技は本当に最高でした。あの塩梅。安達らしさがちゃんとあった上での、成長した安達を見せてくれてるの。あと、鶴見辰吾が最高でしたね。色んな意味で、この父あってこの息子あり、がよく分かるオーラ。松下由樹は個人的には大好きな女優さんだし、演技はさすがだったんだけど、頼む!! ここはもう少しやつれててくれ!! と真面目に思った。

 ついでだから書いちゃうと、結婚式のシーン位は黒沢姉に居て欲しかったな~。黒沢姉なら、黒沢が結婚式するってなったら、ちゃんと帰国して出席してたと思うんですよ。結構人気キャラなのに~。

 あと、結婚式シーンの2人の靴。あの色で正解なの? 妙に靴だけ目に入ってしまって…。

 

 良かった点と言いつつ、愚痴が入って来てるな…。

 浦部さんという安達の上司をドラマで作っといてくれたの、ホント生きましたよね。長崎出張を相談するにも、黒沢にバラシちゃうのも、浦部さんなら納得。ちなみに中の人、私は10年前の「平清盛」以来、結構好きなんですよ。

 演出のエモさとして、「1人で傷付こうとするなよ」を、あの公園で撮ってくれてありがとう。あの公園は黒沢の弱さ・ダメさが出てしまい安達が受け留めてくれる場所の象徴だもの。最高。

 砂浜で寝転がって二人で空に手をかざすのも、多くの人が言ってる通り、ドラマ版ならでは。あのオープニングの、1人ずつかざしてたのが、一緒にかざして、動きもシンクロするの。最高にエモかった。

 

 ラストシーンの、2人で手を繋いで道を歩いて行くのは、色んな人が言ってる通り、本当に余韻のある終わり方で最高だったなって思います。しかも、2人が笑顔ではないところ。今後の2人を象徴していて、でもこの2人なら何があっても支え合って生きて行けるよきっとって思わせてくれる後ろ姿。ほんと良かった。

 見方によってはこの映画、このラストシーン以外は絵本の中の話なんですよね。だから、実際はドラマ通りの、クリスマスイブに脱魔法使いして、エレキスするような仲で、ある休日に安達が移動式図書館であの絵本を見て、見終わる頃に黒沢が迎えに来て、ただ道を二人で歩いて行くだけ。それ以外は絵本の中のお伽噺。これは、私みたいに、クリスマスイブの脱魔法使いにこだわる人にとっても、実際にLGBTQの方で相手の親に受け入れられなかった人達にも配慮した作りになっている、とは思う。というか、実際には黒沢の両親に受け入れられなかった世界線で、あの道を2人で歩いてるのかもしれない、とも受け留められる。まぁ、逃げ道作ってる、とも言えるけど。(まぁだって、やっぱりイブに脱魔法使いしてたとしても、この作りにはできたからね、って、しつこい??)

 

 私の好きなチームナックスさんが、もう6年前?に、ポロモシルという舞台をやってるんですけど。ロシアのウクライナ侵攻で改めて注目されましたが、太平洋戦争が終戦になって日本人皆武器を捨てて、家に帰ろうと考え始めたポロモシル島に、ソ連軍が攻めて来た話です。もちろん、実話を基にしてる。終戦したのに、その後にポロモシルで戦って日本人が結構亡くなってる。でも、ポロモシルを守らないと、ソ連軍はこのまま北海道に攻めるのは明らかで、もう戦争止めて帰りたかったのに皆泣きながら戦った。結果、北方領土と呼ばれる土地になるワケですが。この話を舞台で見せる時に、リーダーが言ってたんですよ。メッセージ性の強い話だから仕方ない部分はあるけれど、俺達がやってるのはあくまでエンタメだって。

 何が言いたいかって、チェリまほも、あくまでエンタメだってこと。

 原作者が特定の団体に、原作使用料の一部を寄付した話、それ自体は別に良いと思うんだけど。私は何となく、何かが違うな~と感じてしまって。あ、だから原作者さすが!!みたいのが違うと思う、という意味です。

 ドラマでの藤崎さんの描き方を原作と変えたのも、ドラマというか実写だと妙にリアル感が出るし、テレビという媒体ではBL好きでない人も見る可能性が高い(公共性がある)から、同僚の男2人を陰で推しカプとしてくっ付ける妄想をする(腐らせてる)キャラは、漫画では面白くても、ドラマでは失礼過ぎだと感じた、との話。これは本当に素晴らしいと思った一方で、でもテレビマンってこういう感覚がプロ意識なんじゃないのかな?とも思ったり。六角が王様ゲームを時代錯誤って一蹴するのも。はたまた、風邪を引いた安達の着替えを、黒沢はちゃんと背を向けて見ないようにしてたとか。もちろん、こういう製作陣の感覚、実写化の際には大事だと思うけど、でもやっぱり、本来は当たり前のことだと思うんですよ(昨今はこの、テレビマンとしての当たり前のプロ意識の欠如が問題になって来たワケですが)。だから、こういう製作陣を尊敬というか、信頼はする。でもことさらに持ち上げるのも違うな、と思っていて。

 同じように親への挨拶話が含まれるので、どうしても何食べと比較しちゃうんだけど、やっぱりチェリまほの映画版は、原作者の寄付の話辺りから、社会的なメッセージ性にちょっとシフトし過ぎじゃないかという気はしていて、それが何か違うなぁと内心思うのです。

 ナックスのリーダーが、ポロモシルやる時に「これはあくまでエンタメ」と繰り返し言ってた理由が、今回のチェリまほ見てて分かるようになって来ました。エンタメのプロとしては、エンタメという形で人々の心にアプローチするのが筋ってことだったと思うんです。それはエンタメの人としての矜持を感じる。

 私自身、中学からBLに親しんだお陰なのか、大人になって専門職として色んな性指向の方と接する時、そこまで偏見は無かったので。最近で言えば、私はOL2のシノさんが本当に好きで、真面目に生きてるのにただ女性を性的に愛せないだけで傷付いて生きて来て、幸せを諦めてしまっているような人なんですけど、シノさんに幸せになって欲しいって思いがすごく強くて、シノさんに思いを馳せたことを通してゲイの人達がぶつかる社会的なハードルに目が向いた部分は凄いある。でも、それはゲイだからってだけの話ともまた違う。けど、社会的なメッセージを発すると、やっぱりエンタメで届けられたハズのものが、少し限定的になってしまうというか。だから、チェリまほに関しても、余計にエンタメのプロとしてやり切って欲しかった、という気持ちがいっぱい。逆に、メインキャストの2人や監督は、あれだけインタビューを受けまくったのに、そこをすごく弁えている感じがするんですよ。それだけに、余計もったいないなって思う。

(これは本当に感じ方の問題だけど、何食べにしろポルグラにしろ、原作者はあくまで原作で、自分なりの表現手段で既に自分の作品を世に出してるワケで、実写化のプロに対してそんなに口出してなかったと思うし、撮影現場に行ったり舞台挨拶に出たりしても、製作そのものに対してはもう少し距離を取っていたというか、こんなに目立たなかったと思うんですよね…。そりゃ最初の原作使用契約の際に、条件は出すでしょうが。その条件の中で、原作のファン心理と公共性も鑑み、作品にしていくのがプロなので。私自身、チェリまほは、原作も良かったけど実はそこまで惹かれなくて、圧倒的にドラマでハマったクチなので、余計にそう思ってしまう。正直なところ、映画見てポストカードもらったけど、ポルグラみたいに実写の栞くれよ!! と内心激しく思っていたもので。)

 

 

 多分、色んな人の思惑が色々絡んで、どうにかこうにか監督やプロデューサーが落としどころを探ってこの結果だったんでしょうけど。でも私は、ドラマ版の脚本家が続投しなかった理由を知りたい。多分そこに、私のモヤモヤが詰まってる気がしています。

 まとまらない文章で恐縮ですが、その分素の感情で書きました。

 

4/21追記

とある方のブログを拝見して、あぁ~とっても言いたいこと分かります、と思ってしまったので、ちょっと書いてしまいます。もちろん作ってくれて感謝してるので、やっぱりプラマイプラスなんだけど、的な言い訳の後。「私はBLの実写を見に行ったのに、BL特有の萌えを期待するのは間違ってるとでも言われているような違和感」「BLではなく、LGBTQの教育ビデオ的な内容」。

うん、何かやっぱり、製作陣がBLを撮ること自体に自負を持てていないというんでしょうか。その点、ポルグラは突き抜けてたな~、何より監督が。まぁ、自分で脚本も書いちゃった位だから。男同士とか関係なくて、愛し合う2人を撮っただけ、って言ってたもの。